忘れられない1枚。

昨日まで
知覧の富屋旅館にいました。
2日間、わざわざ鹿児島まで行ったのに
丸2日、富屋旅館にいました。


そこは
鳥浜トメさんという「特攻の母」が
富屋食堂を営んでいたところです。
そこは
第2次世界大戦中
知覧から出撃する特攻隊に
選ばれた17歳〜23歳ぐらいの若者たちが
食事をし、寛いだ場所でした。
特攻・・・・体当たり作戦。
そんな「死」を目前にした
僕らより若い人たち
その気持ちは絶対にわかることはできませんが
そこに丸2日いました。


遺書を読んだり、女将さん(トメさんのお孫さんのお嫁さん)の
話を聞いたりしながら
自分自身の「死」の意味をさがしました。
特攻にいった若者たちの遺書には
「父のため、母のため、日本の未来のため」
「お体に気をつけてください」
など、自分のことよりも
家族や自分以外の人を思う気持ちが
いっぱいいっぱい書かれていました。
僕自身の言葉ではまったくもって語れない。
語ることができない重さです。


そして
自分自身の「死」
絶対に守ろうと思ったことは
「父と母と兄より長生きをすること」
「妻と娘と息子よりは先に死ぬということ」です。
目標は160歳まで生きるということ。
そして
「死ぬ」意味をみつけて帰ってきました。
ここでは語りませんが
人生のゴールイメージがあると
今、自分がどうあるべきか?
何が足らないのか、
本当に鮮明に丸見えになりました。
死ぬ意味=生きる意味。
そう思えたら
とんでもない
わくわくになってきました。
今日の日にわくわく、
今の時間にわくわく、
未来にわくわく、
自分自身の過去にわくわくです。


そして最終日、出発前に撮った
女将さんとの1枚の写真に
僕の家族への思いと
スタッフ、仲間への思い、
房の駅、諏訪商店に対する思い、
すべてを
叩き込んだ1枚の写真を撮りました。
人生で一番の笑顔だと自負しています。


トコトンやりますよ。
トコトン人生やります。
魂3000倍になって
帰ってきました。
ただいま!!!


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